想うこと
突然の訃報に耳を疑った。
定年までにはまだ数年ある、近隣に住む一家の大黒柱のご主人が亡くなられた。
家長としての責任を果たせぬままの無念の死に、思わず感情移入して涙が止まらなかった。

葬儀会場へは送迎バスが手配され、所要時間5分の車中の場景に、私は想った。
誰も顔を曇らせながら会釈をし合って車中へ、近隣であることから誰も面識はあり、寡黙な人や涙する人、人それぞれに個人を偲んで座していた。
やがてバスは走り出し、街を外れて田園風景に見慣れた頃、隣り合わせの何人かの、歓談していると思える声が耳につくようになった。
しかし、このようなところで”たった5分なのに”って、一人で勝手に煩わしく思いながらも、過去の自分の振る舞いも反省しているから可笑しい。
今の時代、近隣でも久しく会わないのは稀でなく、このような場所が情報交換になるのも事実である。
やがて、葬儀会場へ。
今まで歓談していた中の一人の、遠目にも我がことのように奥様を励ましている姿に、私は白けてしまった。
所詮悲しみは、他人事なのであると。
だからと言って、私だって人のことは言えない。
自宅へ戻ると、先ほどの悲しみを忘れたかのように笑顔の会話に弾んでいることがある。
この矛盾した自分の行動になんともやりきれない思いをしつつ、会葬へ参列するたび繰り返し、今を生きているのだから。

しかし、何時か当事者の立場に。
人間として産まれた限り訪れる、必須条件である。
しっかり生きなければと、想った。

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                  写真は甲斐駒ケ岳
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by kancyan7 | 2007-08-21 20:37


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